創業に際して
2009/4/ 6|コメント(0)|トラックバック(0)|カテゴリ:
明日、新会社(47株式会社)の創業。創業に際してずっと考えてたこと。
ずいぶん長いけど、忘れないために、ずっとブレないために記録。
何千万人が目にする15秒のスポットCMにどんなタレントを使うか悩む事はスケールの大きい仕事かも知れないし、かっこいいと思う。学生の頃はそん な仕事にあこがれた。広告の仕事は絶対に社会に必要だし、楽しかった。でも個人的には継続的にモチベーションを維持できなかった。瞬間を楽しめないタイプ なのかも。トレンドを追っても、今は未来の過去でしかないし。
あと、事業というか仕事の目的。売上何十億とか何百億の会社にするとか、上場してお金持ちになろうとかそういうのが目標って時代があった。そんなつ もりもなく創業して、よくその手の質問をされて、なんか違和感を感じてた。そんなことだけのために限りある人生をついやしている場合じゃないような。そも そもそんなステージでもないし、できもしない約束や根拠のない目標を追って、後でがっかりされたり疲れたりするのは嫌だった。
起業して7年間がむしゃらにやってきた。事業としては少し軌道に乗ってきた。でも何か物足りなさも感じていた。さてこれから。いったい何を仕事にし て永続的に頑張れるか。経営者として人の人生を預かってまで。今はやりのモチベーションがどうのこうのというようなテクニック論じゃなく。結構考えてみた。
たとえば、髪の綺麗な大好きな彼女のために香りのいいシャンプーを作るとか、大好きなおばあちゃんのために体を良くしてあげる薬を作るとか、親友の 大切な結婚式や二次会を絶対最高のものにしようとプロデュースするとか。そういうことなら、寝ないでも休まないでも報酬が妥当であろうとなかろうと妥協し ないで頑張れると思う。その人のために。
自分の身近な大切な誰か一人のために少しでも役に立つような。そんな仕事をしたい。
僕 のテーマはやっぱりインターネットと不動産。いろいろ考えて、大切な人たちの未来のために、大切な人たちの子供たちの未来のために、日本がもう少し暮らし やすいまちにできたらいいと思った。それに人生をついやそう。特に地域格差とか変えたい。昔、島根から出てきたときに感じたなんか変な感じ。田舎に生まれ たから損したんじゃないかと思った。友達に出身が東京とか大阪とか聞いたら気後れした。別に今思えばたいしたことじゃないのに。たまに地元に帰ると、東京 で生活していてうらやましいと言われる。すごいなとか。そういうの違うと思う。
とりあえず休みの日に日本全国をまわって見ようと思った。オフィスビルを調査がてら。
高速バスとデジカメとカプセルホテルが三種の神器。
北海道(札幌)は時計台が案外小さくてびっくりした。半分冬にはビックリ。
青森はアスパムがとんがってて特徴的だった。札幌から寝台列車。寝台席とれず。
秋田は少ししかいれなかったけど、西武とかあって思ったより街だった。
岩手(盛岡)ではじゃじゃ麺と冷麺を食べた。おいしかった。案外都会。
宮城(仙台)は再開発が相当すごくて、微力ながら力になりたいと奮い立った。
山形の人は買い物に他県ほかに行くって聞いた。さくらんぼおいしかった。
福島は郡山と福島があって、どちらにも行った。大変だった。
栃木(宇都宮)はこのプロジェクト最初の街。みんみんと正嗣で餃子食べた。
茨城(水戸)はお土産に納豆買った。夜は楽しかった。
群馬(前橋)は関東にしては駅前が寂しくて少しびっくり。高崎と二分されている。
埼玉(大宮)は結構素敵な建物が多かった。やっぱ都心な感じ
千葉は千葉という街も良かったけど、幕張に日本一好きだと思えるビルがあった。
東京はやっぱりでかいんだなと今さらながら思う。
神奈川(横浜)は東京近くてでかすぎて旅でもないし参った。さすがな街並み。中華街
山梨(甲府)はやっぱかぼちゃほうとうと信玄像かな。ほうとうおいしかった。
新潟はたまたまお祭りしてた。なんか思ったよりおしゃれだった。
富山は繁華街が繁盛してたイメージ。飲みすぎた。
石川(金沢)は全然知らなかったけど、金沢って都会だったし、観光すごいみたい。
福井では野宿したな。ソースカツどんを食べた。おいしかった。
長野はもう寒くなっていた。善光寺を中心にきれいに構成されてたイメージ。
静岡は浜松と静岡があるけど、どちらも発展していた。浜松には昔の想い出。
愛知(名古屋)はすごい街だった。なんか栄は札幌の大通と似た街並みだった。
岐阜では柳ヶ瀬で知らない人たちにご馳走になった。
三重(津)は大門まで相当歩た気がする。夜は遅くまで人がいた。
和歌山は結構広かった。和歌山市駅と和歌山駅あるしこのパターンは大変。ラーメン。
奈良は観光って感じだった。人多かったし自転車借りれてラッキー。鹿見てない。
滋賀(大津)はいきなり琵琶湖は圧巻だった。ここも交通が発展しすぎ。京都ちかい
京都は素敵。もうちょっと心開いてくれたらいいのになぁ。でも本質的。
大阪はさすがって感じ。まだまだ語れないこれから勉強させていただきます。
兵庫(神戸)は一番好きな街になった。おしゃれで素敵な街。いつか住みたいな。
岡山は中国地方を代表する街のひとつ。いけてたな。魚食べて高級ワインご馳走に。
広島は昔あこがれた街。思い出を蘇らせながらかみしめながら歩きました。市民球場。
山口は島根の隣だし、子供のころから行ったことがある。懐かしい感じ
鳥取はなぜかライバル意識あったけど、今では島根の相方みたいな大切感。
島根はルーツ。ここをもっとなんとかしたいと勝手ながら想う。
徳島は尊敬する同世代の経営者の人が生まれた街。おんなじ田舎じゃん。と思った。
高知は一番遠かった。高速バスだったし。街は広かったし独立感あったな。
愛媛(松山)はこのプロジェクト唯一温泉(道後)に行った。なにせ松山駅から近い。
香川(高松)はなかなかの街だった。活気があった気がした。讃岐うどん。古馬場
福岡はおばあちゃんのふるさと。さすがな街だった。イケてる。暮らしてみたい。
大分は思ったより大きかった。独立してるんかな。フェリーで松山の思い出。
佐賀は交通の便が良すぎ。福岡が近すぎるから。街は小ぶりな感じ。
長崎は坂道。すぐに海が見えるのは良かったな。ちゃんぽん、トルコライス。
熊本は熊本駅しょぼすぎ。笑 でも繁華街は思ったよりすごかった。馬刺。辛島町
宮崎はキャンプ地。チキン南蛮とひや汁。知事のグッズがいたるところに。
鹿児島は最初鹿児島駅に行ったからびっくり。中央駅の観覧車と桜島。天文館
沖縄(那覇)はカルチャーショックも大きかった。そーきそば最高。はやく支社出したい。
でも結局は思い出はすべて人。
松山で串焼きやのおじさんに秘伝のたれもらった。
沖縄では花火したな。夜中空港まで行って。突風の中。
高松では綺麗なおねえさんにだまされた。笑
名古屋ではおかまパブに連れてってもらってモテたなあ。
札幌は夜明けに時計台で遊んだ。ちっちゃかったな。
長崎は三菱だったんだ。知らなかった。
神戸は一番好きな町。
和歌山ではびっくりするくらいちやほやされなかった。
鹿児島でさつま揚げ屋おしえてくれた女の子が実は15歳でビビった。
などなど
大切なのは人なんだと32年間生きてきてやっと実感できた。人が全てなんだってわかってるし、つらいときやさしくされたり、助けてもらったときだけ都合よく思うけど。そんな打算的な話じゃなく。実感できる何かが足りなかった。
そう『一期一会』。
しゃれになんないくらい深い言葉。また是非会いたい人がたくさんいる。土日に全国まわってまったく休みなくても、そんな気持ちでまた次に進めた。約1年半。自分の中で人が全てに重みでた気がする。
その上で、やっぱり大切な人たちの住む日本に地域格差なんていう言葉があることがおかしいと思う。そんなの関係なくて、生活のスタイルが違うだけだ と思う。田舎に生まれたことも住んでいることもダサいことじゃないし、都会に生まれたことも住んでいることも別にイケてることではない。本質的に今日何を やったか、明日何をするかが大切だと思うし、その土台にある地域の道徳観とか自然の豊かさとか。そういうことってすごく大切だと思う。
経済も大切だけど幸せは総合的に誰かが判断するものではない。
もっと個人個人が今の環境を選んでいるということを尊重したほうがいい。もしもそうでなければ望めば選べるということ。そんな風にできたらいい。
そのためには不動産屋さんがもっと良くなったらいいと思うし、そのために情報・インターネットが活用できたらいいと思うし、そのための今はまだないサービス業をつくりたい。いつかできれば世界規模で。
47株式会社は、
もっと日本人が暮らしやすくなるための日本づくり。
もっと日本人が暮らしやすくなるための世界づくり。
いつか、
もっと世界の人たちが暮らしやすくなるための世界づくり。
情報産業を発展させることで少しでもそんなことに貢献できたらいいなと思う。
47は永遠に完成することも終わることもない。そんなプロジェクト。まだまだちっちゃなひとりよがりなプロジェクト。
勢いなんてなくていい。スピードも必要ない。少しずつ世の中に評価してもらえたら、そこに需要ができて、こんなあいまいな目標設定のために、いつか たくさんの人たちがたずさわってくれて、たくさんの人たちがサービスを享受できるような、そんな世の中になればなと思われるようなそんな期待をしてもらえ るサービスを提供できる会社になれたらいいなと思う。
だからこの会社が大きくなったらうれしいし、その見返りはたぶん目には見えないし、手には取れないはず。でも、そんなものを自分勝手に感じ取れたらうれしい。生涯をかけてそんな充実を目指し続けられたら僕の人生は素敵だと想う。
尊敬する先人は56歳から日本地図の作成を初め、人生の幕を閉じた。また、偉大なる先人は若くしてこんな言葉を残した。
なせばなるなさねばならぬ何事も。ならぬは人のなさぬなりけり。

